ベトナムでのコロナ禍(後半)
ベトナムの感染対策は日本よりずっと厳しいものです。
まず、学校・大学・幼稚園を閉鎖。2020年のコロナ流行時は1月末から5月初めまで閉鎖となりました。その後、市中感染が起こるたびに、数週間ずつ閉鎖になっています。
そして、市民の外出を制限。
タクシーやバイクタクシーでの送迎が禁止され、車やバイクを持たない個人は、本当に近い場所しかいけません。タクシーやバイクタクシーに移動を頼る日本人(特に駐妻には)かなり大事です。毎週行っていた日系スーパーまで買い物に行けない、家に居る子どもたちを連れて外出できないということになります。
ベトナムの外出制限は、要請ではありません。外では警官や治安当局員が見回りをします。
一番厳しいときには、仕事へ行くための外出も制限されたようです。ベビーシッターさんに家に来てもらえなくなり、帰国を決断された駐妻の方もしらっしゃいました。
これほど厳しい処置を取っていたベトナム。会社で日本人従業員やその家族の帰国を命じたところもありますし、自身で判断し帰国した家族も数多くありました。
お金をよく使う外国人が減少したハノイでは、治安の悪化もあったようです。
コロナ禍で市民の自由が大きく制限されているベトナムのニュースを見るたび、
「日本に戻って良かった」という気持ちはなるものの、またすぐいくつもりだったベトナムがとても遠い存在であることに胸が苦しくなります。
0歳から4歳までベトナムで過ごした長男にとっては、ベトナムの生活がスタンダード。
いまだに「べトナムへ行きたい」と口にしています。昨年3月からずっと運休となっている中部国際空港からのベトナム航空便。一日もはやく見れるようになることをただ願うのみです。
ベトナムでのコロナ禍(前半)
昨年3月にベトナムから日本へ完全帰国したので、だいぶ時間が経ちました。
ず~っとベトナムでの生活のまとめのブログを書こうと思っていたのですが、、、
表面的には平静を装いつつも、
コロナ渦で心がアップダウンする日が長く続いていました。
「日本に帰ってきたのと、ベトナムにもう少しいたのと、どっちが良かったんだろうか?」そんなことも良く考えました。
今考えると、昨年3月に帰ってきてよかったと思います。
ベトナムでのコロナ騒動は、約1年前、2020年1月末頃、テト(旧正月)が明けた頃にはじまりました。その時、長男はテト休暇で1週間幼稚園が休みだったのですが、結局3月に帰国するまでに幼稚園へ行けた日は3日のみ。ずっ~と休みで、予約してあったお料理教室、ママとのホテルランチなどなど私の「ハノイ終活計画」は全て没、それどころか引っ越しの片付けもできない日が続きました。
冬のハノイは大気汚染が深刻で外で子どもを遊ぶことができません。
日本より非常に徹底した対策を取っていたベトナム政府の指示により、子どもが集まる施設も次々と閉鎖に追い込まれました。
ショッピングモール内の有料プレグラも閉鎖になるところが出て、
とにかく、どこで子どもを遊ばせるかに困りました。
そして、もうひとつストレスだったのは、
いろんな噂が飛び交って、言葉の通じない国で何を信用していいかわからなかったこと。「どこどこで感染者がでた」「学校は来週は開く、開かない」
特に学校関連のうわさには一喜一憂していましたが、結局ほとんどずっと閉鎖のままでした。。。
1度、ベトナムの保険省が「全保護者の署名が整えばインターナショナルの学校(幼稚園)は開けて良い」と言い、長男が通っていた幼稚園の園長先生が街を駆け回って、120人ほどの署名を揃え、幼稚園が開いたのですが、、、
それもすぐに、市内で新たな感染者がたった1人確認されたことでダメになってしまい、結局3日開いただけでした。(その時は本当にショックで、その感情をどこにぶつけてよいかわかりませんでした。。。)
数か月後にその頃の自分の写真を見なおすと、頭に円形脱毛ができてました。。。
引っ越し業者が来る日だけはさすがに子どもを家に置いておけないと思い、
上の子は幼稚園の同級生のお家へ、下の子はベビーシッターさんの自宅へ行かせました。
同級生(スペイン人と日本人のハーフ)のお家でスペイン人のお父さん(パピー)がつくったパスタを食べる長男の写真、ベビーシッターさんのベトナム家庭でベビーシッターさんの長女(10歳ぐらい)にあーんとベトナムのお粥(チャオ)を食べさせてもらう次男の写真がそれぞれ送られてきました。いま思うと良い思い出ですが、その頃はなんだかもう色々必死でした。。。
私たちが帰国したのは確か3月19日。その1週間後には、ベトナムが国境を封鎖しベトナム行きの飛行機が飛ばなくなり、日本の空港でも、PCR検査や2週間待機などが義務付けられたので、本当にラッキーと言えば、ラッキーでした。
発展途上国に住むということ
2019年9月、ハノイ西部の電球工場が爆発し、周辺に水銀が飛散。この汚染の影響で付近の水や食物をしばらく摂取しないようにベトナム政府から通達が出ました。(でもこの通達が出たのは事故の次の日。。。ちょっと遅い。。。)(詳しいニュースはこちらhttps://www.viet-jo.com/news/social/190909193350.html)
その後、10月には水質汚染によりハノイの一部の区で水道水が使用できなくなり、
(詳しいニュースはこちら https://www.viet-jo.com/news/social/191014193729.html)
そして12月に入ると、とうとう世界ワースト1となったハノイの大気汚染。(詳しいニュースはこちら:https://www.viet-jo.com/news/social/191213225714.html)息子が通う幼稚園でも大気汚染測定器を導入し、空気が悪い日は外遊び禁止となりました。
そうです。発展途上国に住むとはまさにこういうこと。道行くバイクだけじゃなくて、水や食物にも常に注意しなければならず、数百メートルあるくだけでも、大気汚染の影響で鼻の中や唇がピリピリし、空気が悪くなる冬の間は子どもを外遊びさせるなんてもっての他です。
そんな中でも、ここで生きている以上、必死に「楽しいこと」を私は見つけようとします。次男とは毎週インターナショナル幼稚園の英語リトミッククラスに参加し、ふりふりと踊る次男の姿に癒され、長男とはお菓子の家づくり教室に参加しクリスマスムードを味わう。
週末はマスクをしながら市場へ行って、チャオ(ベトナムおかゆ)や旬のフルーツを日本よりずっ~と安い値段で買ってお得感を味わい、いつも笑顔の市場のお姉さんやおばちゃんからパワーをもらうのです。
この大気汚染大国ベトナムはどこへ向かうのか、という一抹の不安を覚えながらも、残り数か月となったハノイ生活をとりあえず最後まで満喫していこう、と思う今日この頃です。
2013年~2017年の翻訳・通訳実績
フリーランスで翻訳・通訳をはじめた2013年から一昨年前までの実績です。
社内翻訳やライティング業務、そして出産などと被っている時期もあり案件数は少ないですが、翻訳会社様や個人の方から様々なお仕事を頂いております。いままでの出会いに感謝すると共に、今後もスキルを磨きがんばっていきたいと思います。
昨年の実績はこちらをご覧ください。
2013年
・ヨガティーチャートレーニングコース 専属通訳 (1カ月間)
・瞑想ワークショップ(単発) 通訳
・コントローラー ファームウェア コード 英訳
2014年
・特許(バイク、半導体など)英訳
・コントローラー、モーターなどの技術資料 英訳
・アーユルヴェーダ ワークショップ 通訳
2015年
・スマートフォン パンフレットの英訳チェック
・企業HPの英訳、英訳チェック
2016 年
・<訳書>『ヤマ・ニヤマの10の教え』(2016年 ガイアブックス)和訳
・モーター、コントローラー、センサーなどのカタログ 英訳
・美容機器の紹介動画 和訳
・展示会パンフレット 英訳チェック
・ コンタクトレンズ 社内資料 和訳
2017 年
・食品、日用品製品のキャッチコピー 和訳
・火炎センサー、加熱炉、船外機などの英訳
・ 企業HP、旅行情報などの英訳、英訳チェック
・ 美容製品、コンタクトレンズなどの和訳・和訳チェック
2018年の実績はこちら
ハノイでの出産体験記
予定日を1週間前にしたある日の昼下がり。ソファーから立ち上がってみると、ソファーカバーが濡れている。「これは!」と思い、すぐにタクシーで病院へ向かう。
だが実は、出産かもと思って病院に駆け込むのはこれで3回目。「また来たの?」といわんばかりの助産師さんの視線が痛い。。。
そしてベトナム人医師による羊水反応は残念ながら陰性。けれども、羊水じゃないとも言い切れなく、出血もあるということで分娩室でそのまま入院することになった。そしてこれが、長い1日半の始まりだった。
Day 1 13時: 病院へくる。羊水反応検査(陰性)。
15時: NSTモニターをお腹につける。微弱陣痛あり。
19時: モニターで陣痛が強まっているものの、痛みなし。。。
21時: 赤ちゃんが下がってきてくれることを期待し、1階から4階まで階段を登り降り
22時: 変化なし。。。
ここで就寝しようとするものの、周りの分娩室(10室以上ある)から聞こえるのはうめき声、さらには、妻?に叫ぶ男性の声。。。そもそもベッドが分娩台なので、気持ちよく眠れるわけもなく、何度も目が覚めながら朝日が登る。「朝になってしまった。」
Day 2 7時: NSTモニターで、陣痛の強度が下がる。陣痛がほぼ消えてしまった言っていいほど。。。
8時: 主治医のロシア人の先生が来てくれる。陣痛誘発剤(点滴)を使用したいか聞かれる。
8時半: ダンナにLINEで相談し、誘発剤を使うことを決断。
10時: やっとナースの準備が整い、誘発剤の点滴開始。
11時: それでもなかなか陣痛がこないので誘発剤を増やす。
12時: ナースの指示で、部屋に置いてあったバランスボールを使って運動。。。
15時: 誘発剤の効果がモニター上で現れるものの、痛み全くなし。。。
そのためロシア人の先生と再度相談し、人為的に羊膜を破る。
その5分後: お腹に鋭い痛みが走る。「痛っ~。。。結局、昨日のは破水じゃなかったのか。」
10分後: 痛くて座っているのがつらいので、病室外の壁のレール沿いに歩いてみる。「麻酔する?」という先生の問いかけに、「いや、まだ大丈夫です」と回答。
16時: ナースがNSTモニターをつけたいと言うので、ベッドに横になる。とても痛い。。。
1人目の出産時は麻酔を使わずに分娩したため、今回も使わずにいけると固く信じていたが、異国で一人で向き合う痛みに心細くなり、さらには「子宮口がまだ4センチ」との先生の話に心が折れ、麻酔(無痛分娩)にしてもらう。
16時半: 麻酔科の先生が到着。英語が上手な男性の先生。
5分後、麻酔が効き、痛みと心細さから解放される。
17時: ロシア人の先生が夜のシフトの先生と一緒にくる。
「少しゆっくり休んでね」と部屋を暗くし、先生退室。
15分後: 麻酔が効いているはずなのに、ミシミシとした痛み。
「これは赤ちゃん下がってきている!?」と思いナースコールを探すが、麻酔の線やら心拍を計る装置の線やらで、見つからない!
結局、「エムオーイ」(レストランでウェイターを呼ぶときに使うフレーズ)と叫ぶ。。。
走ってかけつけてきたナース?医師?が私の状態を見るやら焦って他のスタッフも呼びに走る。すぐさま3人ほどの医師とナースが来て、慌ててベッドを分娩仕様にセットする。
17時20分: 医師よりいきみ方について英語で説明を受ける。
17時28分: 助産師が「つぎにいきんだら赤ちゃん出るからね~」という。
17時30分: 赤ちゃんがすんなり誕生!
結局、陣痛3回分いきんだだけ。
出てきた赤ちゃんを助産師がポンと私のお腹に置く。
「あぁ~~~~。無事生まれてきてよかった。」
4キロ体重が減ったツワリ、ツワリ終盤にかかった胃腸炎、4か月目での切迫流産、そしてその後の運動禁止期間。長くてつらかった妊娠生活を思い出し、おもわず涙がこみあげる。
その後、赤ちゃんはタオルで拭かれ、体重測定を受け、カンガルーケア。
19時半: 会社から帰宅したダンナが2歳の長男を連れて分娩室に来る。
長男を抱っこするために歩いているところをナースに見つかり、叱られる。(麻酔をしていたから?次の日には退院させられるのに。。。)
こうして、海外での出産を無事に乗り切ることができたのでした。
ベトナムを知る本『サイゴンのいちばん長い日』
「ベトナム。いったいどんなところなんだろう? 」
夫の出向が決まってからまず初めに読んだのはこの本でした。
著者は新聞記者とあって本当に書き方が上手。暗い題材を扱いながらもユーモアを織り交ぜ、サイゴンが陥落したその日の出来事を臨場感たっぷりに描いています。まさに、読んでいて飽きない "Page Turner"。
ベトナム(ハノイ)にやって来て3年目のいま。ハノイの若者たちにはベトナム戦争が残した悲壮感などカケラもみられません。ベトナム戦争当時に激戦地だった中部の都市ダナンはいまや高級リゾート地。だけれど、この国で「何が起こったか」は知っておくべきだと思う。
本書によると、サイゴン占領20時間後にはすでに果物売りのおばさんが道端で営業を再開していたそうです。本書から垣間見えるのは、たくましいベトナムの人々の姿。時代は変われども、それは変わらないように思えます。
続編、『サイゴンから来た妻と娘』もおもしろい。
ベトナムの医療通訳
ベトナムにしばらく住んでいると、大概のサービスの悪さや品質の粗さに慣れてきます。服屋で店員がおしゃべりに夢中になっていようと寝ていようと驚かない。スーパーで買った、調味料の蓋が開けれなくても、同じく買った豆から小さい虫が湧いても驚かない。だけど、この前、ちょっと許せなかったのが病院での通訳。。。
7か月検診のエコーにて
私:「これ以降に、(赤ちゃんの)頭の位置が動くことはまだありますか?」
通訳:医師に聞かずに、「もう大抵ないですね。」
私:なぜ医師に聞かずに答えてるんだ。。。(心の中で思う)
医師:「(赤ちゃんの大きさが)一週間小さいですね」(←ここはベトナム語で聞き取れた)
通訳:無言。。。
そして数日後、その通訳さんより電話があり
通訳:「検査で白血球が出ています。再検査に来てください。」
私:血液検査で白血球が出たのだと思い、驚いて色々ネット検索して、焦っていたが、結局、尿検査で白血球の数値が高かっただけ(比較的よくある事象)だと数日後発覚。
「ベトナムだから仕方ないか。。。」としばらく思っていたのですが、この通訳さんは他の日本人妊婦さんのアテンドをすることもあるし、指摘しないと改善されないかなぁと思い、この通訳さんを派遣している本部に連絡することにしました。
すると、日本人上司と思われる方からすぐに丁重な謝罪のメールが来て、少し心が痛かったです。
ですが、医療通訳という特に人の命を預かるような通訳では、足したり引いたりしない正確な通訳が大切ではないでしょうか。ここはベトナム。日本のような品質を期待してはいけないことはわかっているけど、医療の現場ではしっかりして欲しい!
少し話はズレますが、こういう通翻訳レベル底上げのためにも、ISO 17100のような国際規格は大切なのかもしれないですね。